意見書
 

裁量労働制導入の提案に関する意見書 

2004年10月27日
東京都立大学・短期大学教職員組合弁護団
弁護士 尾林 芳匡 
弁護士 松尾 文彦
弁護士 江森 民夫
 

 
  東京都は、都立大学・短期大学教職員組合(組合)に対し、新大学(首都大学東京)において教員の裁量労働制を採用したい旨を伝えてきています。
  都の提案は、一般的に裁量労働制を導入したい旨とこの適用対象に関する提案であり、都と組合の協議の結果、制度導入を検討するための委員会を設置することが確認されました。
  協議はこのような段階ですが、裁量労働制は教員の勤務条件をめぐる重要な問題なので、これをめぐる基本的な考え方につき以下のとおり弁護団の意見を表明します。

第1 裁量労働制とは

 1 裁量労働制とは、一定の専門的・裁量的業務に従事する労働者について事業上の労使協定において実際の労働時間数にかかわらず一定の労働時間数だけ労働したものとみなす制度です。1987年(昭和62年)の労働基準法改正によって設けられ、2003年には、この制度の対象業務に関する厚生労働省告示が改正され、「大学における教授研究の業務(主として研究するものに限る。)」が対象に加えられました。
  2 裁量労働制に基づき労使協定で労働時間数を定めた場合には、その業務を遂行する労働者については、実際の労働時間に関係なく協定で定める時間数労働したものと「みなす」ことになります。
  しかし、裁量労働のみなし制が導入されても、休憩(労基法34条)、休日(同35条)、時間外・休日労働(同36条・37条)、深夜業(同37条)の法規制は及びます。つまり、みなし労働時間が法定時間数を超える場合には、36協定の締結・届出と割増賃金の支払いが必要となり、深夜の時間帯に労働が行われた場合には、割増賃金の支払いが必要となります。
  したがって、これらの点に関する労働時間管理は必要となります。
  3 なお、裁量労働制を導入しないと、深夜等に事故が起こった際に労働災害(労災)の適用対象とならないのではないかとの懸念があると聞きます。
  しかし、労災の適用はその事故などの際に、@労働者が労働契約に基づき使用者の支配下にあるか否か(業務遂行性)、A使用者の支配下にあることに伴う危険が現実化したものと経験則上認められるか否か(業務起因性)を基準に判断されます。これは、その業務が使用者との関係で割増賃金等の対象となっているか否かとは別問題ですから、労災適用のために裁量労働制を導入しなければならないということにはなりません。

第2 労働者の不利益に繋がる危険性

 1 裁量労働制が上記のような内容をもっていることからして、この制度は時間外勤務に対する対価の切り捨てに繋がる危険をはらんでいます。
  なぜなら、実際の労働時間が「みなし時間」を上回っても、賃金は原則として「みなし時間」を対象に支払われることになるからです。
  とりわけ、裁量労働制が年俸制・業績給などの成果主義賃金制度と併せて採用され、そのもとで働く人々が実際に労働する時間を問題とせずに、当該事業場の所定労働時間だけ労働したものとみなすこととなれば(所定労働時間みなし制)、所定外労働についての割増賃金支払いが不必要となってしまいます。
  2 このように、裁量労働制は、労働条件の低下に繋がる危険を孕んでおり、その導入にあたっては、慎重な検討と判断が必要です。

第3 裁量労働制検討にあたって考慮されるべき点

 1 研究の実態に即した制度か否か
  裁量労働制が賃金面で労働者の不利益となる危険を孕むことから、仮にこの制度を採用するとすれば、それによって労働者がこの不利益を上回る利益を獲得しうることが必要です。
  裁量労働制は、もともと「業務の性質上その遂行の方法を大幅に・・・・労働者の裁量に委ねる必要があるため当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し具体的指示をすることが困難な業務」については労働者に労働時間配分等の決定をさせることが当該業務の効果的な遂行に役立つという建前に立っています。大学教員の研究・教育の実態がこれに該当し、裁量労働制の導入によって、研究・教育活動に資するところがあるか否かが根本的な問題です。
  2 業務の自由・自立性
   裁量労働制は、創造的労働のために労働の裁量性を確保しようという建前です。したがって、教員に裁量労働制に基づく「みなし」制を適用するとすれば、その業務が高度に専門的なものであって労働時間を拘束することが教員の能力発揮の妨げとなることから、この制度を導入するのだということを意味します。言い換えれば、この制度を導入する以上、教育・研究活動にあたっては高度の自律性が保障されることが必要なのです。つまり、どこで、どれだけの時間、どのように業務を遂行するかの自由を有しなければならないのです。「平易にいえば、裁量労働制は、当該労働者が個席にいなくても上司は文句を言えない(ミーティングへの出席等も労働者が主体的に行う)、という制度である。」との指摘もあるほどです(『労働法第5版補正2版』菅野和夫著)。
  したがって、実際の教育・研究活動がこのような実態をもつのか、あるいは今後の勤務条件の中でこのような自律性が保障されるか否かの慎重な吟味が必要です。
  3 厚生労働省通達の基準
  この点で一つの必要条件を提供するのが次の通達です。
  「大学における教授研究の業務(主として研究するものに限る。)」を裁量労働制の対象に加えた前出の厚生労働省告示の適用に関する厚生労働省労働基準局長通達(平成15年10月22日付)は、「主として研究するもの」について「業務の中心はあくまで研究の業務であることをいうものであり、具体的には、講義等の授業の時間が、多くとも、1週の所定労働時間又は法定労働時間のうち短いものについて、そのおおむね5割に満たない程度であることをいう」と定義しています。「講義等の授業の時間」は教員の裁量によって決めることができないことを前提に、全労働のうち少なくとも半分強について裁量の余地があることを適用の基準とするということです。
  したがって、実際に現在の教員の研究・教育活動の実態がこれに該当するのか否かが、一つの検討課題となります。
  ところが、この点について、東京都作成の「裁量労働制の適用者の範囲について」は、この基準を引いてはいるものの、新公立大学法人としては、教授、助教授、講師は、「研究が1日の所定労働時間(法定労働時間)の5割を超えるとみなす。」と記載しています。
  しかし、上記の厚生労働省通達の基準は、教員に労働時間の裁量の余地がどれだけあるのかを裁量労働制適用の可否の一つの基準としようとするものですからから、この部分に「みなし」を適用すべきではなく、この判断は、研究・教育の実態に即して行われるべきものです。
  4 「みなし」の不利益を補って余りある労働条件
  さらに、「みなし」制が割増賃金不払いといった賃金面での不利益をもたらしかねないものであるだけに、教員には、こうした不利益を補って余りある経済的待遇などが与えられることが必要でしょう。
  したがって、純粋な「裁量労働制」の可否だけではなく、新大学における労働条件全体を視野に入れて、検討することが必要です。

第4 組合の同意の必要性

 1 裁量労働制導入をめぐり、東京都は、組合に対して制度導入に関する意見を求めてきています。これは、2003年8月以来、新大学づくりが強権的に進められてきた中で、都の態度としては異例ともいえる態度です。
  2 これは、一つには、この間、都の強権的な手法に対し、現行大学の教職員と組合、世論が厳しく立ちはだかってきたことの反映でしょう。
  それとともに、大学教員を含む専門業務型裁量労働制をとるには、労働基準法上労働組合の同意が必要とされていることが今回の事態の背景にあります。
  裁量労働制導入のためには、事業場の労使協定において、省令で定める対象事業に該当する業務を特定したうえ、その業務の遂行の手段・時間配分の決定等に関して具体的な指示をしないこととする旨及び当該業務に従事する労働者の労働時間の算定については当該協定の定めるところにより一定時間労働したものとみなす旨を定めることが必要です(38条の3第1項)。協定は、労働協約の形式を満たす場合を除いて有効期間の定めを要し(労基則24条の2第2項)、所轄労働基準監督署長に届け出なければなりません(38条の3第2項)。
  以上のことから、裁量労働制の導入には、事業場の過半数組織組合ないし過半数代表者の同意が必要なのです。
  付け加えると、労使協定の締結は、あくまで専門業務型裁量労働制を労基法上適法とするためのものです。この制度の実施のためには、対象となる労働者に関する労働協約、就業規則または個別労働契約によって労使協定の内容に従った規定を整える必要があります。
  さらに、前掲『労働法』には、「対象労働者への制度の適用においては、適用労働者たる労働者個人の同意は必要とされていないが、同制度が労働者の主体的な働き方を可能としてその能力発揮を促進しようとの趣旨に出ている以上、本人の同意は制度の円滑な実施のための実際上の要件となろう。」との指摘があります。

第5 おわりに

 現行都立4大学の教員の勤務時間については、教育公務員特例法により、評議会の議に基づき学長が定めることとされていました。そして、勤務時間に関する何らかの措置を求める場合には、その相手先は東京都の機関である人事委員会及び公平委員会でした(地方公務員法第46条)。いわば、都の内部での問題解決を図る仕組みのもとにありました。
  しかし、新大学を一般(非公務員型)地方独立行政法人として発足させる以上は、ここで働く教員の勤務条件は労働基準法の監督の下に置かれることになり、裁量労働制を導入しようとすれば、同法によって労働組合の同意が必要となるのです。
  東京都はここまで、地方独立行政法人としての新大学づくりを、既存の大学人と組合の声に耳を傾けることなく強権的に進めてきたのです、いまは、地方独立行政法人設立を目指すが故に組合の同意を得なければならない場面を迎えているのです。
  このようなもとで、教員のみなさんが組合とともに、裁量労働制導入問題を慎重に吟味し、教育・研究の発展に役立つ勤務条件を獲得されることを心から期待します。

                                                             以  上