労働組合敵視と東京都当局への追従をあからさまにした都立大評議会
2003年4月7日
東京都立大学・短期大学教職員組合中央執行委員会
3月31日、東京都立大学評議会は、東京都立大学・短期大学教職員組合中央執行委員会の、都立大関係教員系役員の処分を東京都総務局の要請通り決定し、4月7日該当者に処分が言い渡された。すなわち委員長、副委員長に停職3日、中央執行委員に停職1日という厳しくかつ不当な内容である。
今回の処分要請は、過去とのバランスからしても、また労働者である公務員の争議権の保障という観点、さらには今回の「争議行為」の原因が都側にあったという事実ならびにそれを都側が認めたという経過からしても、はなはだ不当なものであった。その点については、「手から手へ」2181号(3月3日)で述べた通りであり、あらためて繰り返さない。 今回の決定に当たって、2000年の副委員長に対する処分の際のように、総長一任という形にせず、評議会が最後まで責任を持って決定したことは、形式的にしろ評議会の職務をまっとうしたものとして評価しうる。評議会及び荻上前総長は、今回の決定が受けるであろう学内外からの反響に対して、未来永劫にわたって責任をとるという強い意思を持つものと理解する。都立大学が廃学になるからといって、評議会及び総長の責任が闇のなかに消え去るものでは決してないのである。
今回の決定は、都立大学及び荻上紘一総長の晩節を汚した。今回の決定は、これまでの評議会の処分決定からみれば明らかに大きな飛躍がある。1993年度の教員の処分にかかわって、山住正己元総長は、1972年度420回評議会の判断、すなわち1969年の都教組事件最高裁判決に示された法理(公務員の争議全面禁止は違憲というもの)を尊重するという態度を変える必要がないと明言していた。(「手から手へ」1734号)
しかるに、このような見解は、一部の評議員を除いて評議会で主張されなくなるとともに、都からの要請をそのまま受け入れる決定が2000年度に行われた。そして今回の決定は、一部の評議員の良識ある主張にもかかわらず、なお一層の飛躍を行ったのである。これは、評議会が都当局と同様に、憲法と昨年11月のILO勧告にみられるような国際的常識を無視し、前近代的な労働組合敵視の姿勢をとることになったものと判断せざるを得ない。評議会は築かれてきたこれまでの良識ある歴史と蓄積を否定したのである。
現在は「大学改革」という非常時だから都の要請通りに処分するのもやむをえない、という声もあろう。しかし、それは、「大学改革」の名において、教職員を犠牲にしてもやむをえないという態度に他ならない。だが、そのような「大学改革」は、決して教職員の支持を得るものではない。
また、われわれは、このような「大学改革」が、将来的に教職員に対して何をもたらすかを危惧するものである。独立行政法人となれば、確かに組合は民間の労働組合と同様に争議権を得る。だが、当局の意に添わない教職員を処分することはいくらでも可能である。ここ数年、鹿児島国際大学や富士大学などの私立大学で、裁判所も不当と認める恣意的な処分が行われているではないか。法人化後は、教授会の自治が制限されるなかで、教員人事の重要な部分、そして処分権を法人が握ることになる。今回の処分が、法人化後における大学当局の態度の前例となることのないよう、われわれは今後も処分の不当性を訴えていく。
以上のように、今回の決定において評議会は、大学の自治を保障した教育公務員特例法に形式としては則って判断を下したものといえる。しかしながら、肝心の判断の内容は都当局の労働組合敵視の態度を是認することによって、教職員の身分保障に独自の判断を下すことができないという弱点をあからさまに示したのである。われわれはこうした評議会の態度を容認できない。
現在、「都立新大学設立準備委員会」では、全教員に対する任期制の導入が新大学の教員の意向をふまえることなく議論され具体的な案までとりまとめられようとしている。また、定員削減によって非常勤職員が増加している。「大学改革」のなかで、教職員はますます弱い立場に置かれようとしているのである。東京都立大学・短期大学教職員組合は、今回の不当処分に決して屈することなく、教職員の身分保障を確立し、安心して働き研究できる条件を獲得するためにたたかうものである。
科技大及び短大教授会は、独自の判断で不処分を
2003年4月7日
東京都立大学・短期大学教職員組合中央執行委員会
科技大、短大においても処分の審査が行われている。これらの大学では、都立大の決定を参考にして、処分を決定しようとする意見があると聞いている。各大学は独立した大学であり、当然独自の判断をしなければならない。まして前述のように、都立大評議会の判断は不当なものであるから、これにならう必要はまったくない。都立大評議会と異なった判断、すなわち処分をしないことを強く要求する。