教授会の議を経ない学長名での「意見表明」は管理本部の大学分断に
利用される恐れがある
学長名での「意見表明」を批判する

2003.10.17 教職員組合 科技大支部

10月9日付の『新大学開学準備に向けて積極的な取り組みを行う旨の意見表明』という文書に,本学石島学長が名を連ねました.

 非常に不可解なことに,当日の教員懇談会で学長から,保健科学大,短大の学長と相談し意見書を発表するつもりだ,という表明があり,「学長名」の使用について疑義が出され,その討論が決着しないままで散会になったときにはすでに本学ホームページに掲載され,しかも都庁管理本部はプレス発表を行っていたのです.(管理本部HP参照.問合せ先が管理本部になっているのも奇妙です)

 これまで,石島学長は教学準備委員会へは「個人」として参加しており,したがって教授会などで新構想の報告や討議をすることはできない,あるいは,わからない,という立場をとってきました.そのため,科技大教員の多数が配置されたはずの「システムデザイン学部」の全貌でさえ,学長以外は誰も知らない,という状況になっているのです.自分が配置されるはずの学部についてすらそのような状況で,しかも大学院についても,研究や教育の条件も知らされないままでは,わたしたちが「積極的な取り組み」を行えるわけはありません.なにしろコースの目的や趣旨さえはっきりしないのです.

 これは,「新構想」に批判的か否かとは無関係な問題です.

 内容を知らされてもいないものに「積極的な取り組みを行う」のは,卑しくも真理の探究を職業としているものにとっては恥ずべき盲従です.

 もし,詳細はこれから詰めるのだからまだ決まっていないのだ,と言うなら,無条件に「積極的な取り組み」を言う前に,全教員の衆知を集めた議論を展開し,学部,コースの趣旨や目標を検討し,問題点や不備なところを明らかにしてから,その上に立って「表明」すべきで,そうしてこそ「学長声明」としての重みも説得力も増すのではないでしょうか.

 その点から見れば,正規の評議会の議を経ているだけに,10月7日付で発表された都立大総長声明が検討すべき問題点を明快に指摘し,教員の代表としての自覚にあふれていると言わざるを得ません.

 いま新大学作りの最大の問題は,現大学の教員が自由に意見を述べ,その知恵や意欲を反映させるための公正で開かれた討論の機会が阻害されていることではないでしょうか.

教員の選挙によって選ばれた「大学組織の長」ならば,最も危惧すべきことが「意見表明」に一言も触れられていない点に,わたしたちは非常な危機感を持っています.この状況は法人化された後の大学の姿を暗示しているからです.

 わたしたち科技大支部は,「新構想」は趣旨不明の学部構成や大学院無視など重大な欠陥がありつつも,キャンパス配置などに,8月1日以前の計画に比べて,部分的に合理的な点もあることを認めるのにやぶさかではありません.個々の教員の配置でも前より好いと感じている教員がいることも事実でしょう(逆の人もいると思いますが).しかし,それだからといって,議論と希望表明を許さない管理本部の手法が認められるものではありません.「同意書」にさまざまな教員が不満や留保や異議を書き添えたことは,学長自身がよく知っているはずです.あるいは,たとえ何も書かれていなくてもこの手続きが異常であることは理解できるはずです.この意味で「意見表明」中の『教員に対して,「新大学構想」の主旨と今回の「同意書」提出の意義を十分説明した。』という部分は事実と異なっていると言えます.

 「基本方針」や「改革大綱」の策定過程でも,科技大教授会は何度も一方的な管理本部の押し付けに異議を唱えてきた実績があるのです.

わたしたちは,正規の教授会に諮ることなく,代表者としての「学長」名を使用することに強く反対します.少なくとも,原島前学長を含め以前は,学長名での対外的文書を出す前には必ず教授会に文案,内容の提示があり,可否が問われていました.この良き伝統に立ち返ることを心から期待します.

また,学長は直ちに教授会に責任を持つ公式の検討体制を発足させ,教員の仮配置に対する要望や疑問点に応える仕組みを作るべきです.そして,都立大工学部その他の,人的融合の行われる組織との開かれた協議の場を作るよう要望します.

管理本部の狙いが,都立大と他の三大学の分断にあることを見抜き,四大学すべての教員が協力して,現大学の教育研究と新大学作りを進められるよう,正しい意味での学長のリーダーシップの発揮を切に願うものです.