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2369号

  

法人当局の「教員の新たな人事制度の全体像」(案)に対する中央執行委員会の基本的立場

全教員の任期・年俸制を前提とした評価制度は容認できない!
十分な検討なしの制度案の既成事実化に絶対反対する!

  はじめに
  法人当局は、10月13日に行われた団体交渉で、組合に対し「新たな人事制度の全体像」(案)(以下、「全体像」とする)を提示した。これについてはすでに「手から手へ」に、団交の際の総務部長発言と組合側発言を掲載している。今後、組合は当局に対して解明要求を行うなかで、「全体像」が提示している教員評価制度、任期制、年俸制のもつ個別の問題点を明らかにしていきたい。ここではそれに先だって、教員の人事給与制度に関する法人当局の態度と、「全体像」が打ち出した教員評価制度、任期制、年俸制についての組合の基本的立場を明らかにしておきたい。

 的外れの人事制度設計の観点
  今回の提案の検討の前に、まず確認しておくべきことは、昨年来労働条件の露骨な不利益変更に耐えてきた大多数の教員と組合が反対し続けてきた言語道断な「新・旧制度」が破綻したことである。しかしながら、この事実にも関わらず、今回新たに提案された当局案には根本的な反省が反映されてはいない。
「全体像」は、団交での当局の発言によれば、これまでの人事給与制度についての組合との交渉および年俸制・業績評価検討委員会での議論などを踏まえてまとめられたとされている。しかし、「旧制度」選択者に対する具体的な提案がなく、また教員全員を対象とした任期制・年俸制導入など、これまでの交渉や議論の経過を踏まえた提案とはいいがたい。むしろ「全体像」の提案理由とされているのは、大学をめぐる厳しい情勢のなかで競争を勝ち抜くための教育研究水準のさらなる向上が必要であり、そのため切磋琢磨して能力を最大限に発揮し、意欲と活力に満ちた組織を作り上げることが求められるという一般論なのである。このうち教育研究水準の向上のため切磋琢磨することは大学人にとってもちろん必要なことであり異論はないだろう。しかしながら、法人側が前提として直視すべき現実の深刻な問題として、首都大発足後、大学運営や法人運営の停滞が明らかであり、かつ教員が意欲をもって教育研究にあたるという体制も雰囲気も十全とはいえないことがあげられる。いまだに教員の流出が止まらないことは、それを端的にあらわしている。また最近実施された大学院入試の状況をみても、都立の大学時代に比べ受験者が大幅に減少した専攻が多いことは、総体として新大学が停滞した状況にあることを示している。
  従って教員の人事制度も、このような現状を打破して教員が意欲をもって教育研究にいそしみ、都立の大学であった時代以上に大学が円滑に運営されるためのシステムでなければならないはずである。しかし今回当局が提示した、任期制、年俸制、教員評価の三位一体の制度設計が、こうした目的にかなうものだとは思えないのである。

 皮相な教員評価案と「評価疲れ」による大学の衰退
  まずベースとなる教員評価制度から検討しよう。われわれは、教員に対する何らかの評価がなされるのは当然であると考える。実際に、本学の教員は通常、採用・昇任の審査、学生による授業評価及び自己点検、研究成果の公表とそれへの学界からの反応、科学研究費申請、マスコミやはたまたインターネットの世界において、アカデミックなあるいは社会的な評価に日常的にさらされている。さらにいくつかの分野で行われた大学評価・学位授与機構による評価においては、研究業績だけではなく研究の被引用状況などの具体的な資料を作成し審査に臨んできたのである。また新大学移行の際も、教員に対する審査が行われているのであって、本学教員に対しては従来から様々な面からの評価がなされているのである。
従って、現在制度設計においてまず必要なのは、これらの過去の本学教員に対してなされた評価についての精密な分析と、本学教員のまだ満足するにいたらない項目の割り出し、それを満足いくものにするための具体的な戦略と、そうした観点からの適切な評価制度の設計でなければならないはずである。「全体像」には、これまで多面的に行われてきた評価についての分析は一切なく、どの点をいかに改善すべきなのかという検討もない。よって「大学間競争」、「切磋琢磨」の必要性などという一般論からしか、今回の制度設計の背景を説明できないのである。さらに毎年の評価と5年毎の評価を組み込むことにより、大学全体が「評価疲れ」によって疲弊し、将来に向かう活力を奪うことになる。評価のための評価制度が取り入れられれば首都大学の衰退が一気に進むのは明らかであろう。2000年度以来、6年間に及び大学改革の膨大な作業と、この2年間の異常な新大学作りの過程での、不安、動揺、失望、怒りの過程を越えて、多くの教員が都立4大学の高い水準の教育研究資産を継承発展させるべく、いまだ留まっている。これらの教員の士気をあげることのできる評価制度が必要なのである。
以上の教員評価制度の問題点は、当然のことながら任期制、年俸制にも関わってくる。

 法を無視した全員任期制
「全体像」は教員全員に任期制を導入するとしている。組合は任期制一般に反対するものではない。前提条件と目的によっては、適切なかたちでの任期制の運用があってもよいからである。だが、教員全員に任期制を課すのは容認することはできない。これはそもそも法律の趣旨に合致しないのである。1997年に制定された「大学の教員等の任期に関する法律」には、「大学等において多様な知識又は経験を有する教員等相互の学問的交流が不断に行われる状況を創出することが大学等における教育研究の活性化にとって重要であることにかんがみ、任期を定めることができる場合その他教員等の任期について必要な事項を定めることにより、大学等への多様な人材の受入れを図り、もって大学等における教育研究の進展に寄与することを目的とする」とある。ここで想定されているのは、まさに当局がいう「プロジェクト型」なのであって、任期をつけることができるのは「多様な人材の確保が特に求められる教育研究組織の職」、「助手」、「特定の計画に基づき期間を定めて教育研究を行う職」に限定されているのである。
  また今回提示された全員任期制が、先述の都立の大学に対する大学内外の評価結果のどういう点に対応できるのか、あるいは全国の国公私立大学、特に大学院まで有する総合大学の実態から、全員任期制を採用することでいかなるメリットがあるのかなどの分析が一切ないことが問題である。繰り返すが、本学の教員はこれまで様々な面で評価を受けてきたのである。もちろんこれらの結果が完全に満足すべき評価でなかった場合もあるだろう。そうだとしても、満足できない部分が何であり、どのようにすれば問題が克服できるのかという具体的な分析の過程のなかで、どうしても教員全員に対して任期法による有期雇用を導入しなければならないという理由が説得的に導き出されるべきである。
  「全体像」は、こうした分析を一切行わず、任期制導入の理由として教員のステップアップと組織の活性化を述べるのみである。ステップアップに関しては、そのためになぜ任期制が必要なのかがまったく不明である。ステップアップのためには、これまで繰り返し行われてきたような業績審査と、まとまった業績を発表する際などにおける教員間の相互援助ではどうしていけないのだろうか。また研究員(助教)は5年、最大限で8年の任期となっている。「全体像」も研究分野の特性をふまえることの必要性は認識しているようだが、それでもなお、なぜ一律に最大8年で雇い止めとしているのかが不明である。研究員(助教)にも、ここでいうステップアップの機会が保証されるべきであろう。

 全員任期制は組織の活性化につながらない
  また組織の活性化という点でいえば、任期制で教員の流動化をはかることが組織の活性化をもたらすといえない。法人がこの4月から導入した「新制度」は、法人における教員人事給与制度の本則であり、給与面でのメリットもある制度のはずであった。しかしこれを選択した教員のうち少なくない部分が、すでに他大学に流出している。この事実は、任期制が教育研究に責任を持ちながら、時間をかけて良い大学にしていこうという教員集団作りを支援する制度になり得ていないことを証明している。当局がいう組織の活性化が、「プロジェクト型」のように頻繁に教員が入れ替わることをさすのであれば、確かにこの目的にはかなっているかも知れない。だが教育研究の質の向上、大学の魅力の向上をもたらすような磐石の組織作りという意味での組織の活性化にはつながらないであろう。それゆえ、法人化後の国立大学においては、採用教員の全てが任期制ではなく、任期制の導入には慎重に対処しているのが実情なのである。
  さらにいえば、当局が固執する任期制・年俸制自体が、2003年8月1日に石原知事が定例記者会見で新大学構想の目玉の一つとして、任期制・年俸制導入を掲げたことに端を発している、きわめて政治的なプランであることも指摘しなければならない。「新制度」にせよ今回の「全体像」にせよ、はじめに任期制・年俸制ありきから出発していることは明白である。だから「新制度」は、業績給・職務給の算定の指標すら作られていない段階で導入が強行され、これを受け入れない教員に対しては、昇給、昇任をさせないという懲罰的措置で臨んだのである。「新制度」にせよ「全体像」にせよ、石原知事や山口一久元大学管理本部長(現知事本局長)の、大学教員を屈服させたいという願望を淵源としてもっていることを、世間も大学人も見抜いていることを法人当局は肝に銘じるべきである。
また時間の経過と共に、その「改革」の結果が大学の教育研究資産を破壊するという結果をもたらしたことが明らかになっている。今後も従来の強権的な姿勢を強行すれば、継承すべき教育研究資産を破壊し非合理な大学作りを強行した責任を、ますます問われることになるだろう。

 賃金切り下げにつながる年俸制
年俸制については、「新制度」のきわめて一面的な制度設計に比べれば、これ自体としては改善されたものになっている。だが先のような教員評価と三位一体の関係にある限り、年俸制の問題点もこれを反映するものにならざるを得ない。またそもそも職務給、業績給などを導入して仕事の成果を反映させるということが想像よりも困難なことは、過去10年前から民間企業では実証済みのものであり、最近は成果主義賃金が見直されていることからも明らかである。なぜ破綻の回答が出ている給与体系を今さら持ち込もうとしているのか理解に苦しむ。加えて「全体像」の設計主体である都庁そのものにおいては、2002年度の人事委員会勧告などでうたわれた、部長級以上の幹部職員に対する年俸制導入の案が、どういうわけかいまだに具体化されず、それどころか2005年度勧告では話題にものぼらなくなっている。これは年俸制の制度設計が実際には困難であることを、都庁自身が認識していることを示すだろう。
  個別の問題点はここでは省略するが、ここで掲げられた年俸制は、総体として現在の「新制度」どころか、3月以前の都の給与体系、それを基準に設けられている「旧制度」に比しても、実質的な賃金低下をもたらすものであるということだけ付け加えておきたい。昨年度の団交において大学管理本部は、「旧制度」は現給保障をしているのだから、昇給・昇任がなくとも労働条件の不利益変更ではないと主張してきた。組合はこうした欺瞞的答弁に逐一反論してきたが、今回の「年俸制」は、有期雇用であるということに加えて、現給保障すらも維持できなくなったのである。「全体像」に示された人事給与制度は、明らかに労働条件の不利益変更なのである。

 「旧制度」の昇給、昇任を認めることが先決である
以上、「全体像」の問題点を総論的に述べてきた。その結果真に大学を活性化させる制度には今回の案がほど遠いものであることが明らかになった。
  また当局は、組合の要求である「旧制度」の昇給・昇任の要求についていまだ回答をしていない。組合は「旧制度」の昇給、昇任についての協議が同時に行われない限り、「新制度」の改定案である今回の案の内容についてのみの協議には応じられないという立場である。また実際に4月、7月の昇給が行われなかった。これについては、組合は法的対抗手段も辞さない立場で弁護団と相談を行っている。当局は早急に「旧制度」の昇給、昇任問題を解決し、その上で、真に大学を活性化するための任期制が本当にあるのであれば、それを教員組織や組合との十分な話し合いのもとで、適正な形で運用することを考えるべきである。

 十分な検討なしの制度案には絶対反対す
今後、大学全体に「全体像」が提示されるだろうが、これはあくまでも法人当局の「案」に過ぎないことを忘れてはならない。提案された際には全員任期制の当否や評価制度、年俸制を含めて学内において大いに議論がなされるべきである。全教職員による十分な検討なしに、あたかもこれが既成事実であるかのような一切の言説に組合は絶対に反対する。また管理職の立場を利用した法人案への賛同を誘導する行為に対しては、組合は不当労働行為として摘発し、公正で透明性の高い職場環境作りをめざす所存である。